タカブン通信
いのちのバトンタッチ
2014年4月25日 社長通信212
1.はじめに
ソメイヨシノの桜満開の好天気のもと、久し振りに観た長浜曳山祭の子ども歌舞伎の名演技に感動し、御堂前組の諫鼓山の芸題「喜有福満祭提灯(よろこびありや ふくみつる まつりちょうちん)」の佐助役を演じた松原部長の息子さん(8歳)に、大喝采でした。この長浜曳山祭は、長浜八幡宮の祭礼として例年4月15日を中心に挙行され、秀吉ゆかりの400年以上伝承されている重要無形民族文化財です。京都の祇園祭、飛騨高山の高山祭と並んで、日本三大山車祭の一つに数えられており、地元の山組の皆さんや市民にとって誇り高き祭りであり、将来に連綿と受け継がれていくことでしょう。
さて今まさに彦根・平田川河川敷の純白の「松月」や紅色の「紅華、一葉」と呼ぶ八重桜が満開です。季節も風薫る卯月から風光る皐月に移ってまいります。
2.いのちのバトンタッチ
株式会社シガウッド設立当時は監査役、また前身の協業組合時代は理事長を歴任した父が、先週満89歳を迎えたばかりの20日夜、前立腺癌の末期症状と老衰の為、入院療養中の彦根・友仁会山崎病院で心安らかに永眠しました。特に苦しみもせず大往生だったことが幸いです。生前中は、平成20年に退社後も、皆さんから会長、会長と親しげに呼んでいただき、またこのたびの葬儀では皆さんからたくさんのご弔意を賜り、心から感謝致します。亡き父もさぞかし喜んでいることと思います。
父は、大正14年伊吹山麓の上野で5人兄弟の3男として生を受け、旧長浜商業学校で商売の基礎を学びました。戦争中は、慕い尊敬していた2人の兄と満州に出征しましたが、その兄は戦死し、父は2年間の旧ソ連での捕虜の後、命辛々帰還しました。そして復員後は、家督権と農業を4男の弟に譲り、長浜で縁あって木工所の経営権を任され、ヤンマーディーゼルさんの下請け木工加工業である㈱滋賀木工を堅実に営み、昭和46年同じヤンマーさんの協力下請会社4社が、協業組合シガウッドを設立して、共同事業をスタートしました。
その後田植え機やディーゼルエンジンの木台製造梱包事業から徐々に転換し、木パレット・自動車輸出梱包やアピトンタルキ・桟木建築製材、鉄パレット製造へと事業拡大し、成長発展してきましたが、平成5年から6年重大労災事故が度重なり、その引責で理事長を退任し、若干41歳の私が理事に就任しました。その後の父は、平成9年株式会社設立後も退社まで、経営を側面から何かとサポートしてくれました。
このたびの葬儀では、滋賀木工時代からの多くの元従業員さんにご弔問、ご会葬いただき、私も思わず胸が熱くなりました。おやじは、家族同様従業員さんを慈しみ、お客様やお取引先様を大切にし、仕事とゴルフと読売ジャイアンツ大好き人間でした。今回、おやじの尊い意志を継いで、確かに「いのちのバトンタッチ」をさせていただきました。ありがとうございます。感謝! 高橋文夫拝
追伸:全国各地からお客様、お取引様ほか皆様からご弔問、ご会葬、またご弔電賜りまして誠にありがとうございました
衷心より御礼申し上げます 高橋文夫拝